お相手いなくたって(2001年クリスマスを控えて)

 いつ頃からだろう?クリスマスはステディな異性の恋人と過ごさねばならないと思い始めたのは、そして、クリスマスのたびにあせり始めたのは・・・

 小さな頃はクリスマスは、なんかプレゼントをもらえて、ご馳走が出て・・純粋に楽しめるものであったが・・・

 いい年頃になってから・・どうもステディな異性がいないとなんか落ち着かない気分になる。それもなんだかおかしい気がする・・・12月24日にしろ、1年365日のうちの一日である。そう単なる12月24日なのである。でも、その日だけなんだか、仕事をしていてもそわそわ、帰り道にイルミネーションを見かけるだけでズーンと心に5トンの重石を載せたように沈み込む・・・たかだか、365日のうちの一日なのにこれだけ沈みこむのは不自然だろう。

 そりゃあ、ステディな異性の相手がいる場合は、クリスマスを大いに活用していいと思う。そりゃあ、ロマンチックであるし、世間的にもイルミネーションまたたいて、クリスマス商戦も盛んであるし、大いにそれを楽しめるような雰囲気も醸成されている。

 しかしながら、マスコミが言い立てるほど、そして、クリスマス商戦ではやし立てるほど・・年頃の未婚者の全員が全員、クリスマスを共にするお相手がいるのだろうか?

 正確な統計を調べたわけではないから定かではないが、今年の僕を含めて、そのようなお相手がいない人だって多くいるのではないだろか?

 ややもしたら年ごろ男女の半分くらいはそういう感じかもしれない・・・そうお相手がいる人が目立つが、それは絶対数を反映しているとは必ずしも言えず・・・そう氷山の一角として目立つわけで、その裏にひっそりとお相手のいないサイレントマジョリティが隠れているのかもしれない(ほら、相手がいることはおおっぴらにしたいものだが、いないことをおおっぴらにしたがる人はいない・・・まあ私のように「もてない男」なんて称してしまっているのは少数派であろう)。

 であれば、そのかなり多いとも思われるお相手いない組は、肩身狭くひっそりとこのクリスマスシーズンを乗り切らねばならないのだろうか?

 いや、そんなことはないのである。

 そもそも、マスコミにしてもクリスマス商戦にしても、お相手いない組の肩身を狭くしようとしてクリスマスを盛り上げているのではない。お相手いる組を盛り上げようとしているだけであるからだ。それを、そう、私含めてお相手いない組が過剰に意識してしまって肩身狭く感じてしまっているだけなのさ。

  だから、クリスマスシーズンだからといってそれを過剰に意識せず自然に過ごせばよいのだろうね。まあ、通勤通学途上でいやでも目に入ってくるクリスマスの盛り上がりも気にしなければいいし、それより返って一緒に楽しんでしまってもよいかもしれない・・・そもそも、またたくイルミネーションは変に意識しなければ、本来的に人をワクワクさせるものなのだ。

 また、ここはいっちょ、お相手いない組に甘んじていないで、お相手作っちゃるぞという超ポジティブ路線に転じたってそれはそれでいいであろう。

 そんな風に思っているんだ♪

戻る