支配者の正体

 

 時間に追い立てられるのはよくあります。

 思えば今までの人生、時間との戦いが延々と繰り返されてきたかもしれないですね・・そしてこれからも続くのでしょう。

 僕は毎朝職場へ急ぐ・・・そして走ることだって往々にしてある。明らかに時間との戦い。
 学生時代はテストの連続ですよね・・・あと5分の声にせかされたことも多々あるわけで。
 もいっちょテストの話で、受験日まで日がないことに嘆きつつ、ああ、やっぱり落ちたわあっていう苦い経験・・・これだって、時間との戦いに敗れ去ったとも言えますね。
 レポート・論文で期限が迫って、うんうん、うなりながらやっていたことだってあるし・・・これは仕事においても同じ話。

 このような時間との戦い・・・敗れ去ったことはいっぱいあるように感じるけれど、時間との戦いに勝った・・時間を支配したっていう記憶はあまりないというかほとんどない。みなさんも、そうですよね?

 ということは、私たちは時間に支配されていることなのかなあ・・・って思ったところで、そもそも、私たちが支配されているかもしれない時間って何物なんだあって思わないですか?(^-^)

 まずぱっと思い浮かぶのは、地球が自転で1周して一日で24時間であるということ・・・なるほど、時間が地球の自転という壮大なものであるのならば支配されていたって不思議はないと納得はできる。なんたって僕らは地球の上で暮らしているのだから・・・

 でも、よくよく調べてみると現実は、必ずしも、そうではないらしい・・・地球の自転に由来する時間は「天文時」と言われるもので、昔は確かにそれが基準であったものの、それではやはり少し誤差が出るらしい。だから、今は時間の基準になっているものは、セシウム原子がある量子遷移をする際に吸収または放出する電磁波の周波数を基準にした「原子時」とのことだ。詳しく言えば、1967年の国際度量衡総会において秒の定義は天文時から原子時へ変更されたってことなんだ。

 だから、今現在時報の基準になっているのは、原子時計ってわけらしいんだ。

 なんだか、セシウム原子というミクロな話題になって、地球の自転という壮大な話とはうって変わって小さい話になったもんだなあ・・原子の世界だかんね・・そんな小さなものに支配されているのかあって思うと、なんだかなあって思ったりもしてさ(^-^)

 ほら、毎朝電車に間に合おうと走っているのが、セシウム原子に動かされているんだあと思うとなんとなく納得いかない(^-^)セシウムなんて見たこともないような原子にだよ(^-^)

 まあ、でも、できる人、もてる人っていうのは時間を制御できている人っていうイメージが大きい。「時間にルーズなできる人」とか「待ち合わせには必ず遅れてくるけれどもチョーもてもてな人」っていうのは想像しがたい・・そう、待ち合わせには必ず遅れてくる「課長・島耕作」が想像しがたいのと同じだ。

 もてるためには、時間をうまく制御することも必要なのかもしれない・・・そう影に支配者セシウム原子を制御するってことなのかも(^-^)

 でも、そのために理科(化学)のエキスパートになってもしょうがないのだろうが(^-^)

 ま、そんなことを考えながら、いつも時間をうまく使えればいいなあって常々思っていうるのだが・・・そう、目指す列車にあと一歩で乗り遅れ、ぼうぜんと動き行く列車を眺めているときなどは特にね(^-^)
 
 そんなことで、影の支配者「時間」と戦うために、「ビジネスマンのための知的時間術」(野村正樹著、PHP文庫)とか「朝の通勤時間、知的な使い方」(現代情報工学研究会、講談社+α文庫)とか時間管理術の本を仕入れてきて、読みふける最近(^-^)

 

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