自分の生き様を残したいから 〜結婚観に関する考察〜

 僕も、もう、30歳を超えた。そうなると、「結婚したいの?しないの?」ということを聞かれることも多い。そして、結婚したければそれなりの動き、例えば、お見合いの紹介を周りに依頼するとか結婚紹介所に登録するとか、まぁ、合コンに積極的に参加するようにがんばるとかの動きをしなければならないわけだ。

 さて、僕は結婚したいのか?という問いには、どうもよくわからない。具体的に好きな女性がいるとかであれば、いろいろ結婚について具体的に考えられるのだろうが、今の時点では具体的に考えることができないからだろう。

 別にいまだって、一人暮らしではあるが、それなりに家事もしているつもりだし、自炊だってしているし、実は自分の作った食べ物は美味しいと思っている。そしてこの前は家に侵入したゴキブリとか大グモだって追い出した(実はちょっとビビった)・・そう、一人でだってそれなりに生きているのだ。結婚したいという動機は、そういう家事的要素でないことは確かだ。

 ただ、同年代の周囲がどんどん結婚して行っている中で、どうも自分だけしていないという引け目、浪人しているような気分から逃れたい気分は確かにあるし、その意味では結婚したいとも言えるのだろうが、それは自分の中からの積極的な意味での結婚への意欲とは言えない。

 ただ一点、そんな現状でもでも結婚したいなと思う要因がある。

 それはこのまま一人で生きていってしまっては、僕の生き様を知って継いでくれる人がいないということがある。子どもがいれば「父さんは〜だった」と覚え続けてくれる、そしてその子どもにもそれを引き継いでいってくれるだろう。そう、僕が僕の父のことを忘れはしないのと同様に。

 しかし、通常は結婚しなければ、養子縁組などのケースを除いては、子どもは持つことはできないのは自明のことだ。

 このまま、僕が一人で生きていって、そのまま誰にも覚えられることなく・・・ということを考えると、ちょっとぞっとすることもある。

 僕はホームページに自分の語りを書いていくことをライフワークとしている。趣味のレベルは超えてしまっているかもしれない・・・かなりの時間をホームページの更新に費やしていることも事実だし、このページを開いてから、もう、丸5年は経過している。そこまでのめり込むのは、やはり、自分の生き様を少しなりとも残したいからだと思う。その裏には、「このまま一人で・・・」という不安があることも否めないだろう。

 事実、1999年6月22日の語り「後世に残す」で、僕はみなさんの記憶に僕の語りが少しでも残っていけばうれしいという旨のことを書き残している。もう4年も前の語りである。そのころから、その思いを持っていたということだろう。

 自分の生き様を少しでも残していきたい、全く忘れ去られるなんてホント寂しいから。そんな思いがあって、僕はここに種々の思いを書きつづっているわけだろう。

 さきほどは、結婚したいかどうかはよくわからないと書いたが、やはり結婚したいのかもしれない。だから、特定の好いた女性もいない今、結婚したい積極的な要因を挙げるとすればその一点になるわけだ。好いた女性ができれば、その女性と一生一緒に居続けたいなどの愛情面からの結婚への積極的な要因が出てくるだろうが、今のところは、自分の生き様を覚えていてくれる人が欲しいのが積極的な結婚したい思いだ。

 だから、今はやはり、ホームページで一生懸命語っていくことだろう。

 そのうち、ホームページであまり語らなくなったら・・・好いた女性ができたということになるのかもしれない(笑)

(2003.8.27)

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