スキルがなければ楽しめない

 さて、私自身の人生を振り返ってみると、学生時代は主にまじめに学問をしていた。学生の本分は学問であるという理念に忠実に従っていたと言ってよい。

 その当時は、受験だなんだと圧力のかかった状態で勉強に専心しなければいけなかったのはあまり心地よくもなかったのも事実ではあるが、そもそも好奇心が強かったこともあり、知らないことを知るというのは面白かったことも事実である。そして、大学に入ってからもある意味まじめに自分の知らないことを知ろうという意味でも学問をしたりしていたのは事実だ。

 しかし、学生の本分は学問という理念に忠実な人ばかりではない・・・いわゆる学生生活を楽しむと評するのか・・・異性間の交友をがんばっちゃう人だっている。ここではそれは否定しようとは思わないが、私はそうはしてこなかった。

 学問をしてきたから「もてなかった」という過去のいいわけをしたいわけじゃない。

 学生時代学問ばかりしてきた私みたいな人が、社会人になり、さて今度は恋愛してみようったってできないことは想像に難くないでしょうということを言いたいのだ。

 例えば、ウィンタースポーツの代表であるスキーやスノボを楽しむ人がいるとする。でも、最初からうまく滑れたわけじゃない。転んだりなんだり痛い思いをしながら、スキル(技術)を向上させうまくなり楽しめるようになれたわけだ。 

 ちなみに私は東北や北海道に在住経験がある割にはほとんどやってこなかったのでスキーはボーゲンである。

 だから、恋愛だってスキルがなきゃ楽しめないし、多分、スキルがなきゃ恋人を見つけることもなかなか難しい。二十何歳までどうやって生きてきたか・・・どのようなスキルを身につけていたかということで、もてる・もてないは左右されるのは当然と思えてこないだろうか?

 だから・・・ほとんど、学生時代色っぽい話がない「もてない男」たる私はもてなくて当然と思っている。

 スキルがなきゃ楽しめないのはどの世界だって一緒だ。

 

 さて、だから今、遅ればせながらと言われるかもしれないが、そこらへんのスキルを磨いているところだ。スキーやスノボも転んで痛い思いをしてスキルを磨く。イタイ思いは失恋という形で現れるのが恋愛の世界であるが・・・それも避けては通れないわけだ。

 スキーとかスノボとかならさ、年がいってから、転びながら始めるのは大変だから・・・ま、ウィンタースポーツはいいいやと放棄することもできるし、その意味では私もほとんどウィンタースポーツは放棄しているが、恋愛の場合はちょっとそうはいかない。

 イタイ思いをしながら、いまさらながら、不器用に動き回ってしまうのだ。年がいってから転ぶとイタイのだがね。

 (2004.2.16)

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