まぁ、僕は自分を「もてない男」と位置づけ、その観点からの思いを語ってきた。
もう6年間以上もの長きに渡り、150編を超える語りを綴ってきてしまって、いまさらだが、なんでこんなにも長く熱く語ってきてしまったのだろうかとも振り返ってみたりもする。
正直、ここまで続くとは思ってもいなかったし、6年前には僕は、まだ26歳である。自分を「もてない男」と位置づけてのエッセーなんて面白いかもしれないなっていう軽い気持ちであったことも事実だし、まだ若いという余裕もあったから今の自分の年齢(32歳)くらいには結婚くらいしているかなとも余裕を持って考えてもいたくらいだ。
実際、このような奇抜な視点からのエッセーは当時は他に類がないものでもあり、雑誌などにも紹介されたりして(ここを参照)、読者からの反応も多く、やっている僕自身も楽しく面白くて語り倒していっていた。
でも、僕の恋愛事情と言えば、27歳のころ彼女さんができた時期が一度あったものの、今やまたフリーで、結婚などはまったくおぼつかないという状態である。
ということで、いまだに「もてない男」として語り続けている。
こうなってくると書いている僕自身も以前ほどの勢いもなくなり、こういう視点のホームページも増えてきて(ちまたでは非モテ系とくくられているらしいが)、雑誌に紹介されることもなくなったので、今では気が向いた時に語っている程度である。年に数本の語りを更新しているというくらいである(現在のメインは毎日更新の今日の一語り(日記)に移っている、これは恋愛ネタに限らない)。
そして、なにより自分を「もてない男」なんて位置づけて余裕ぶっこいているヒマはあるのか?というあせりも否めない。
昔の語りを読んでもらえば分かると思うが、結構余裕があってウィットに富んだ感じであった語りも多いだろう。でも、最近の語りになるほど、余裕がなくなっていることは読みとれると思うのである。
さて、そんな感じで、「もてない男」と自分を位置づけ語り続けてきた僕が、もっとも根元的な問いとして考えてきたのが、そもそも「もてない男」とは?ということである。
自分を「もてない男」と位置づけて語っていくと、必ず突き当たるのである・・・「もてない男」ってなんだ?って。それは分かって頂けると思う。
そして、読者からもそもそも「もてない男」とは?という問いを投げかけられることもある。
まぁ、この場合、「もてない男」とはというよりは、性別を超えより一般化して「もてない者」とは?という問いに置き換えた方がよいかもしれない。
掲示板での読者との議論や、自分で考えた結果、そしてなにより今まで僕がどのようなスタンスで150以上に及ぶ種々の語りを書いてきたかを振り返ってみて、「もてない者」とは?という問いに次のような定義付けができると思うのである。
「もてない者」とは、「今現在において彼女・彼氏がいない」という客観的要件、かつ「自分はもてない者であると思う」という主観的確信が同時に成立した時その人は「もてない者」となる
そうなのである。ここで重要なのが、主観的確信が要件のひとつであるということである。誤解されやすいのだが、「今現在において彼女・彼氏がいない」という客観的要件だけで「もてない者」であるわけではないのである。
例えば、小学生の頃、「今現在において彼女・彼氏がいない」という客観的要件を満たしている者は星の数ほどいるだろうが「もてない」とは言わないよね。
中学生・高校生となるにつれその比率はだんだん低下してくるが、大学を目指して一直線にがんばっている者、スポーツに青春をかけ一筋な者で、たとえ、彼女・彼氏がいなくても「もてない」と断定できないであろう。
大学生くらいになったり社会人になったりすると、その比率はさらに低下するであろうが、それでも研究一筋であったり、仕事一筋の者をつかまえて、彼女・彼氏がいないからといって「君はもてない」と断定はできないだろう。
そう、結局、本人が「自分はもててないな」と思った時、初めて「もてない者」になりえるのである。
これは「もてない」意識の覚醒とも言える。この覚醒をさせるイベントはあまたある。周囲の知人に彼氏・彼女ができた、結婚した。また、クリスマスやバレンタインデー。
この「自分はもてない」という主観的確信の覚醒において、人は「もてない者」となる。
そして、この覚醒において「もてない者」はいろいろ不快な思いも抱くようになるし、劣等感に苦しむことも多い。
僕は、もちろん、このサイトを開く前に既にこの主観的確信の覚醒の洗礼は終わっている。それからいろいろ苦しみもしたし、劣等感にさいなまされたりもした。その上で、ま、じゃぁ、うちにこもって苦しんでいるよりも「もてない男」としてあっけらかんと語っちゃおうかと開き直り半分で始めたこのサイトであった。
意外に語ることがそういった劣等感や苦しみのカタルシス(浄化作用)として機能していたのかもしれないから、こんなに続いてきたのかもしれない。
ともあれ、今、僕の考える「もてない者」の定義は以上の通りである。
(2004.6.27)