耳掻きの話し
 

 最後に耳掻きをひとにやってもらったのはいつの頃だろうか。
 もう、遠い昔のことに感じます。中学生くらいまででしょうか、となると、もう十数年前のことになるでしょう。母親でしたね。

 私の耳垢は湿ったものですから、耳かき棒よりも綿棒の方が性にあっていて。耳の中がかゆくなると綿棒を使って掻きますがね。右耳を掻く時はいいんです右利きですから。でも、左耳の中を掻く時は、右手を左耳の方に持っていって顔は右を向いてちょっと無理な態勢で綿棒を左耳に入れます。そういう、一人耳掻きの不便さを感じる時、まれに、人に耳を掻いてもらうのは気持ち良かったなあって思い出したりすることもあります。

 『大体耳かきっちゅうのは、好いた女の膝まくらでしんねりやるもんやないか』
                                     中島らも 著 「らも咄A」 角川書店  耳かき始末 から抜粋
  まじ??
 そんなこと、もてない男の私にとっては、夢のまた夢ですよ。 もし、私に彼女ができても、仮に結婚しても、彼女・奥さんにそれは頼めないような気が今の時点ではします。なんかカッコつけてしまいそう。
 そもそも、高校時代フォークダンスで女の子の手を握っただけで宙に浮かぶような気分になっていた私がですよ、膝枕していただいただけで大気圏外に飛び出たような気分になってしまうでしょうしね、ましてや、耳掻きなんてしていただいた日にゃ何億光年も先にワープしたような気分になってしまうのではないでしょうか。
 上記抜粋文の言い方のように、女性の膝枕で耳掻きをしてもらうケースって本当によくある話なんでしょうか?女性の膝枕での耳掻きが一般的なもの、世界標準またはグローバルスタンダードってことになってしまうと、なんかもてない男の私は地球外生命体になってしまいそうで、断じて、認めたくないところなんですが。
 なんにしても、私には女性の膝枕での耳掻きの存在が実感として信じられないんですよね。もし、自分はそうしていただいたことがある・現にそうしていただいているという方、そうしてあげたことがある・そうしてあげているという方がおられましたら体験談をぜひメールで聞かせてください。

 ちょっと話し変わりますがますが、掻くという方面では、背中を掻く道具として「孫の手」というのがありますよね。この「孫の手」を一番有名であろう広辞苑(岩波書店)でひくと「麻姑Aに同じ」とある。それではと、「麻姑」をひくと次のようにある
 

ま・こ【麻姑】
 @ 中国伝説の仙女。後漢の頃、牟州の東南、姑余山で仙道を修め、その爪は長く鳥の爪にも似、こ   れで痒いところを掻いてもらうと愉快この上もなかったという。
 A (マゴとも)長さ一〜ニ尺の棒の端を手首の形に造り、背中など手の届かぬ所を掻くのに用いる    具。象牙製のものや竹を曲げて作ったものがある。まごのて。

  ―を倩(やと)うて痒(かゆ)きを掻く 思いのままに物事のよく行きとどくのにいう。
 
                                              新村出編 「広辞苑」 岩波書店 より引用
 

 @に注目すると面白い所があります。「麻姑」というかたは仙女であるということですごくえらい御方のようなんですが、「麻姑倩(やと)うて痒(かゆ)きを掻く」という言葉から、なんか雇われて痒いところを掻いていそうで・・・「背中掻き、15分、7千円」とか看板を掲げていそうで・・・。そうなると、なんかえらいのかどうかなあなんて思っちゃったりしてユーモラスですよね。それにしても、女性に背中を掻いてもらう人って・・・「愉快この上ない」って言われてもなあ、そりゃそうだろうけど(男性ならなおさら)、なんか想像つかないなあ。

 でも、「耳掻き、3000円ポッキリ、柔らかい膝枕が待ってます!!」なんて看板があったら、私自身なんかふらふら引力に引き寄せられるように入ってしまいそうだけど・・・。

 イカンイカン、こんなことを考えているようでは・・・。方向性が違ってきているぞ!(前述の、中島らも氏がなにかに書いていたが、昔は実際に耳掻きを生業にしている人がいたらしいですけど)

 実際、そんなねえ、耳掻きして欲しいから彼女が欲しいなんてねえ、そんなこと思ってはだめですよ。第一、女性に対して失礼じゃないですか。そうっ!!そんなこと考えてはいけないんです。

 でもね、本当に正直なところはね、ほんのちょっとね、ほんとちょっと好きな彼女の膝枕で耳掻きをしてもらいたいて思います。ほんのちょっとなんですが・・・
 
 

ホームページ