人生を変えた分岐点

 

 ロールプレイングゲームやったことある方多いですよね。ほらドラゴンクエストシリーズとか有名ですよね。まあ、ああいったゲームって、あるイベントでどんな選択をするかが決定的な意味を持ってくる場合が多いんですよね。変な選択肢を選んでしまうと即ゲームオーバーみたいなことにさえなったりして・・・まあ、この場面でこの選択をしなきゃ解けないっていう決定的な分岐店が往々鬼しておるわけです。「かまいたちの夜」に代表されるようなサウンドノベルとジャンル分けされるゲームではこの決定的な分岐点というのはより顕著に現れてくるのですけどね。

 この決定的な分岐点・・・われわれの人生でもあるのかもしれませんね。よく聞くじゃないですか・・・「あの人との出会いが私の人生を変えた」「あの師匠との出会いが・・・」

 ふむ、ちょっと思い出したんですが映画「ジョーブラックをよろしく」みたいにさ、ブラピ扮する死神があの映画のヒロインの人生観を変え、ひいては、人生を変えたようなロマンティックなストーリーでしたが・・・ま、いいよね、そんな素敵な人生の分岐点だったら。ブラピだよ?今世界でもっともセクシーな男でがんすよ。すごくドラマティックじゃないですか。

 まあ、映画はフィクションですが、現実世界でもそういうドラマティックな人生の分岐点は、話として残る場合が多いわけで・・・古代ローマの時代、絶世の美女としてその名の高いクレオパトラに魅了されてしまったローマの将軍アントニウスは結局ローマのオクタヴィアヌスと対峙することになり戦い敗れ、自殺することになってしまった話は有名ですよね。アントニウスにとってクレオパトラと出会ってしまったことこそが最大の人生の分岐点ではなかったのでしょうか。

 「クレオパトラの鼻が少し低かったら世界の歴史が変っていたであろう」は哲学者パスカルの言葉。

 でもさ、まあ、庶民的なレベルではそんなドラマティックな人生の分岐点ばかりではないのでしょうね。

 通勤途中におなかが痛くなって途中下車してトイレに入ったことが人生の分岐点だったりしてさ(^-^)。

 降りた電車が、その後、脱線事故を起こしてしまったとかだったら、そりゃあ分岐点だよね。「ぽんぽ」痛くなったことで助かったわけでさ。

 でもこれは分岐がわかりやすい例でして、もっとわかりにくい場合もあろうかと思います。まあ、通勤途中におなかが痛くなって途中下車してトイレに入ったまでは一緒で、でもその降りた列車は脱線せず・・そして、自分は遅刻して上司に怒られてしまった。これだけだと遅刻して怒られただけで、なんだか、お腹痛くなったのがすごく余計なことなのですが、実は、途中下車しておらずゆっくり会社の正面玄関からゆったり入っていき偶然階段に落ちていたバナナに滑って転げ落ちていて大怪我をしていたかもしれない。一方、途中下車をしていたことによりそっと目立たぬように裏口からの階段を上ってその難を逃れていたのかもしれない。でも、皮肉なことにそれは当の本人にわかるはずはなく、結局、腹痛で下痢で、しかも怒られてついてない日だなあとなるわけですね。

 ま、通勤電車で「ぽんぽ」が痛くなるとホントマジで困るよね(^-^)・・大体さ、朝って結構時間ぎりぎりの電車に乗ったりしているからさ・・そういう人多くないですか?(^-^)・・乗換駅でトイレに行ってみても、一本乗り過ごして遅刻しそうだったり、ましてや途中下車などしようものなら完全に遅刻みたいな(^-^)・・・しかも、大体朝の駅のトイレの箱って埋まっているんだよねこれが、また。しかもそんな時に限ってティッシュもってなかったりして(基本的に駅のトイレにはトイレットペーパーは備え付けられていないものです、代わりにティッシュ自動販売機が合ったりして商魂のたくましさを感じます(^-^)いたずら防止の意味もあるのでしょう)・・・本当におお困りですよ(^-^)。遅刻もしたくないものだから・・痛い「ぽんぽ」をさすりつつ、ベルトを緩めつつ(これもはじめから全開に緩めると、一気に出てしまいそうなので、徐々に緩めるのがポイント(^-^))ダッシュして職場に駆け込み「おはようございまーす」とともにトイレに直行なんて、かなりいけてない姿なのですが・・・(^-^)。ま、それほど困るものなのですよね。

 ともあれ、お腹が痛かったことが人生の分岐点だったなんてあまり格好よくないけど、ま、そんなものじゃないですかね・・・ドラマのようには行かないと思いますよ、正直。

 ま、恋愛においても、誰かと付き合おうかどうか決断しようとしている時、なんか人生の重大な分岐点のような気がしたりして、迷うことってあるかとも思うのですが・・・まあ、これは結婚しようかどうかと言うときはことこの傾向が強くなるとは思われるのですが・・・。それでマリッジ・ブルーとかいう現象もあるとは思うのだけれど。

 でもさ、もしかしたらお腹が痛くなったことだって重大な人生の分岐点かもしれないわけで・・・そう考えれば、毎日が人生の分岐点の連続かもしれないわけで・・・うん、そんなに深く悩みこまなくても、好きなのかなって思ったら、付き合うなりしてみるとよいのかなって思うんだ。

 私自身、いまでこそ、彼女いるわけだけど・・・うん、付き合うかどうかの時はあんなにほしがっていいた彼女という存在なのにやっぱ迷ったからね。でも、付き合ってしまえば付き合ってみないと感じることのできない、また新たな楽しみもあるわけじゃないですか・・・うん。

 まあ、結婚に関しては・・・したことないのでよくわからないのですけどね(^-^)。とりあえず、付き合うかどうかで迷っている場合は、ま、そんな感じかなあと思ったりしています。

 まあ、私にとって「彼女と付き合うようになったこと」「もてない男としてホームページを開いたこと」とか人生の分岐点だったのでしょうか・・・「ぽんぽ」いたいたで職場に駆け込んだ時、もし、途中下車して遅刻していたら、絶世の美女とぶつかってしまって、「すみません」「いえいえ」みたいなところから恋が芽生えるなんてことがあったのでしょうかね(^-^)・・そう映画「ノッティングヒルの恋人」みたいなね。ま、最後のは確率的にほとんどないにしても(^-^)、まあ、何が人生の分岐点になっているかはわからないものですよね。

 人生最期の瞬間では、わかるのでしょうか・・・どこが人生の分岐点でどのような選択を経て今に至ったかを。たぶんロールプレイングゲームのように完全にはわからないのでしょうね。ゲームのようにやり直しのきかないのが人生ですし、先ほどの腹痛の例でも結果が見えない分岐点だってあろうし、まあ、人生の攻略本とかあったら、つまんないよね。

 映画「恋は嵐のように」をこの前見たのですが、マリッジブルーに陥った主人公の若者が彼のおじいさんに問います(記憶による再生ため多少の字句的な違いはお許しあれ)。

若者 「おじいちゃんはどうしておばあちゃんと結婚したの?」

おじいちゃん 「きまっているじゃないか・・・やらせてくれたからだよ」

 非常に直接的かつ具体的で、明快な答えですね(^-^)。人生の分岐点ってこんな感じで選択されているのかもしれません(^-^)。

 文豪シェークスピアは、戯曲「ハムレット」で主人公ハムレットに

 「To be or not to be that is the question.(生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ)」

という有名な独白セリフを言わせている。ハムレットの人生の岐路とも言うべき重要な局面でである。

 かの古代ローマの武人、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)はローマの元老院(まあ、議会ですね)と結んだポンペイウスと対戦するために国境の川であるルビコン川を渡った時、まあ、ルビコン川を渡り攻め入れば、負ければ叛逆者のそしりをまぬがれ得ないわけなのですが・・・

 「The die is cast.(サイは投げられたり)」

 と言ったそうです。まあ、die は死ぬではなく、日本語でもサイコロのことをダイスって言いますよね。その単数形でさいころの意味なのですが・・・サイは振られた、もう退却はできないぞと不退転の決意をこの言葉で示したそうですね。結果、カエサルは戦いに勝ち、ローマを制圧できました。

 以上の言葉はかなりドラマティックですし、人生の岐路を感じさせる言葉で・・・だからこそ有名な文句として知られているのでしょうが・・・

 まあ、私の場合は、お腹が痛くなって通勤電車の中で・・・そう、「下痢ら」の襲撃と戦いながら

 「(電車を)降りるべきか降りざるべきか・・・それが問題だ。」

 と頭の中でうめいていたのは・・・チョーかっこ悪いし、絶対に歴史にも残らないことだろうけど、かなり崖っぷちだったことは確かだし、かなり人生の岐路ってたのかもしれないなあ・・・。

 

戻る