もてない男のひとりごと

 

 まあ、なんというか。私はいわゆる一つのもてない男といえるのかもしれない。かもしれない、そんなもってまわった言い回しはやめよう。たしかにわたしはもてないのだから。

 しかし、もてる人というのはどういうものなのだろうか。何もしないでも異性がよってくる、そんなものが一般的なイメージなのだろう。しかし果たしてそんな人がいるのであろうか?思うにそんな人は多分いないのであろう。

 世間一般にもてると思われる人は多いと思う。しかし、彼ら・彼女らは何もしていないのであろうか。否である。異性に好かれるということに関しては人一倍努力しているはずなのである。たとえば、いろいろ気をつかったり、服にお金をかけたり、流行を研究したりとその道での努力は並大抵ではないと推測される。もちろん元々性格がいい、容姿端麗だといった先天的な才能めいたものがあるにせよ、まったくの努力なしにもてるようにはならないであろう。それは、いくら才能があってもそれだけでは(それなりの努力をしなければ)受験を突破できないことに通じる話であろう。要は、先天的なものに後天的な要素(努力等)が結合して物事は初めて成功するのである。かの発明王エジソンは次のような旨のことを言った。「発明は1パーセントの才能(talent)と99パーセントの汗(perspiration)から成る」。まあ、それくらい後天的な要素が物事には関与しているのであろう。

 しかし、いわゆるもてないと自認している私のような人間は往々にして、自分はそのような努力をしていないにもかかわらず、あたかも、もてる人たちがその先天的なもののみにおいてもてていると思いがちではないだろうか。少なくとも私はそうであることが多かった。しかし、このところその思いを改めようと思った。まあ、自分がもてないのはその努力の足りなさに多く依存すると思うようになったのだ。

 まあ、容姿のような先天的なものはなんともならないとして、少しはカッコつけてみようと思うようになった。カッコなんて無頓着だった私だが、まあ、そこらへんも努力のうちと考えて。

 しかし難しいのである。なんか学問するより難しい。服を買いにいってもなんか高級感のある店には入りにい。「どれにいたしますか〜」なんて店員(往々にして女性が多い)に声をかけられてしまうと、なんか、「見てるだけです…」って引いてしまうことも多い。なんか、買いやすいスーパーかなんかで服を買ってしまったりして。センスがないのもなんか自覚してきてしまう。

 まあ、カッコつけるという初歩の努力さえこんな調子だからその後の内面の改革なんてずっと先になりそうだ。

 気長にやっていこうと思う。「もてるなんて努力でなんとかなることでは決してない、それでなんとかなるならよっぽど楽だ」なんて声も聞こえてきそうだが、努力もしないでもてることがないというのも真実であろう。

 なんて、理屈をこねながら今日も、もてるようになりたいなあと思っているわたしであった。

戻る