「また今度」って

 さて、ちょっと川柳的な俳句を作ってみたので聞いてくれ。


 また今度

  また今度って

   いつのこと?

       合コン心の俳句


 僕はアニメちびまる子ちゃんが大好きで、なかでも「友蔵心の俳句」を作ってしまう友蔵じいさんが好きで、それにならって心の俳句を考えてみたら、こんなん思い浮かんでしまったんだ。

 「また今度・・・」言われてしまったらダメです。たぶんダメです。合コンには多くは行ったことがないから詳細にはわからないが、僕は男性だからその立場から語ると、なにかに誘った状況で女性にこのように言われてしまったら、たぶんダメだなぁ。合コンという場に限らず言えば、そういう経験はなきにしもあらずだ。

 「時間や場所などによっては行ってもよいが、今はまだ予定が立たないという」場合に、この表現が使われることもごくまれにはあると思われるが、それは、そのふたりが恋人同士で、今度どこどこ行きたいねぇといった場合など、特殊な場合であろう。

 要するに、「また今度」の今度はきっと来ないとさえ思えるほど、その今度が来る場合はまれであり、「また今度」というのは女性から男性に対する婉曲な(遠回しな)断りの表現である場合が多いわけだ。

 「また今度」・・・純粋に国語学的に解釈すれば、「時間や場所などによっては行ってもよいが、今はまだ予定が立たないという」という解釈が正解であろう。僕が国語の教師であってもこれはハナマルだ。

 しかし、男と女という文脈では婉曲な断りに変化してしまう。不思議なことだ。

 僕は、国語は得意だけど、男と女の文脈は苦手だ、だからこそ「もてない男」だ。そんな僕は、「また今度」を素直に解釈して本当に今度はあるのかもと思っていたこともある。今思えばおめでたい。

 女性が男性に対して「また今度」という断り文句を使う気持ちもよく分かる。この男性は嫌いではないが好きでもない、恋愛対象としては全く見られないものの、日常的な付き合いは続けていく必要があるといった場合、こういう角の立たない婉曲的な断りの表現が必要なのだろう。また、日本の曖昧な表現の文化の中では仕方ない表現なのかもしれない。

 しかしね、男の方も本当に考え抜いて惚れ抜いて、勇気を出して誘っている場合もある(特にもてない男的には誘うという動作自体、器用に安易にはできないもので、勇気に勇気を振り絞ることも多い)。そんな時に、こういう婉曲的な断り表現の場合はちょっと割り切れない場合もあるし、僕みたいにおめでたい人もいて、その今度を期待してしまう場合さえある。

 野球に例えよう。男の方はホームランを打つ気でバッターボックスに立つ。フラれて三振するのはしかたないのだが、その球が直球ど真ん中である場合と、なんか抜いたスローカーブだった場合はどっちがくやしいかということだ。ど真ん中直球で勝負されて三振した場合はその勝負にスカっとさえするが、気負いこんで立った打席で抜いたひょろひょろカーブにタイミングが合わずに三振してしまった場合はかなりくやしい。バットをたたきつけたい気分になるのは想像できよう。

 「あなたは恋愛対象には見られない、だから誘いは受けられない」と直球勝負で来られた方が、「また今度」といった抜いた球勝負よりは気持ちがいいと思うのは僕だけだろうか?


 かのキューバ危機でソ連大使に「(キューバにミサイルがあるかどうかを)YesかNoでお答え頂きたい」と迫ったスティーブンソン大使のように、女性に誘いへの回答を「Yes or No」ではっきり答えて欲しいと思っちゃうのは僕だけだろうか?

(2003.8.23)

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