彼女の欲しい瞬間

 異性のステディなパートナーが欲しくなる瞬間、どんな時ですか?これは百人百様かもしれませんね。
 私がもっとも彼女の存在を欲した時、必要性を実感した時というのは、一人暮しで病気で寝込んだ時ですね。
 熱が40度近く出て、うんうんうなりながら、寝床の中でのた打ち回り、節々の痛みに耐えていた時ですね。食事だって誰が用意してくれるわけでもないので、近くのコンビニによろよろと買いに行きましたし、病院にも行かなければならないのでふらふらと一番近くの病院に行きましたが、この時ばかりは、本当にまじで看病してくれる彼女が欲しいと思いましたよ。
 結局、1週間ほど寝込んでしまっていましたが、本当につらかったですね。皆さんにも容易に想像できる状況でしょう。
 私は、まあ、一人暮しは結構してきましたので、おおよそ一人暮しでさびしくて彼女が欲しいなどという甘い考えは持たないようになってきていたのでしたが、この時ばかりはまじに彼女作っとかねばならんなあ・・・なんて考えてしまいましたね。
 おおよそ、彼女が欲しいと思う瞬間ってどんなものでしょうね。土日休みなのにどこに行くにも彼女がいないので行けないしというように時間を持て余している瞬間ですか?コンビニで夕食用に弁当を買いレンジでチンしてもらっている瞬間ですか?映画なり、演劇なりのチケットが一枚あまっている時ですか?
 ここで、3つの例を挙げましたが、私に言わせれば全部甘い。甘い、甘い、甘いですよ〜。
 第一の例に関して言えば彼女がいなくてどうしても行けないなんていう場所は日本の中どこにありますか???確かに行きづらい場所はあるでしょう、たとえば、おしゃれな喫茶店(ex. 札幌の雪印パーラー)とか遊園地(ex. ディズニーランド)、恋愛映画、コンサートとかね。でも、一人で行っちゃいけないわけではないですよね(少なくとも法律的には)、行きたかったら行ってしまえばいいんです。実際私などは行きたくなったら一人旅だって全然オッケーですし、映画なり演劇なりも一人でバンバン行ってしまいますしね(ちょっと、抵抗感があるのは否めないですが)。 
 第二の例に関しては、コンビニ弁当がいやなら自炊しちゃえばいい。栄養的にはそっちの方がバランスがとれてるだろうし、おいしいし。私も自炊しましたね、けっこう。だって、一向にできる気配のない彼女を待ち焦がれているのも馬鹿らしいし、そもそも、炊事をしてもらう存在として彼女を欲しいというのは失礼でしょ。結構上達してきて、自分で弁当作って職場に持って行ったりしましたよ。「つくってもらったんです〜」みたいにうそぶいてね。日頃から、弁当作ってくれる彼女をつくりますよなんて公言していた私だったのですが、驚いてもらったのはほんの一瞬で、ばればれだったんですが・・・。
 第三の例はもっとも切実感がない!!一人で行けっちゅーねん。
 以上のように私は少々のことでは彼女が欲しいという感情を表立って感じることがなくなっていました。まあ、あきらめの感情とともにそんな感情が麻痺してきたというか。それがよいことかどうかの議論はここでは避けたい。
 でも、病気で苦しんでいるシチュエーションでは、まじ、命かかっている感覚なわけですよ。そんな時はさすがに看病してくれる彼女が欲しいと思っちゃいますね。苦しんでいる自分を優しくいたわってくれる存在が欲しいというのと並んで彼女もつくらずに死ねるかいという思いさえたってきます。
 こんな最中は、「よ〜し今度こそ気に入った人がいたら体面にかまわずアタックするべさ。彼女もなくて死ぬわけにはいかないんだっちゃ」などとなぜか北海道弁と仙台弁が混じった言葉で繰り返し思いつづけているのですが、いざ病気が治ってみると、けろりとそんな決意は吹っ飛んで普段の恋に対して臆病な自分に戻ってしまう。
 こんなふうに病気のとき看病して欲しいという、欲求の中では比較的低次元のレベルで彼女を求めてるんですね。病気のとき看病して欲しいというのはまあ、生存の欲求に深く関連していることでしょうから、かなり低次で基本的な欲求でしょう。少なくとも、尊敬されたいとか、アイデンティティの追求のような精神的で高次な欲求ではないですね。
 マスローという心理学者によって唱えられた欲求階層説という有名な説があります。これによると、生理学的欲求→安全の欲求→所属と愛の欲求→尊敬の欲求→自己実現の欲求、の順で上位の欲求になっているということです。
 まあ、そんなことから、私は最も低次な基本的な所で彼女の存在というものを求めているようですね。あまりはやらないかもしれませんね、多分こんな感情は。
 でも、私はここでそのはやらないことを合えて主張したいなあ。
 ドラマとかでは「あの人といると自分が高められるの」、「あの人は私を成長させてくれる」、「あの人といるとほっとできるの」なんていうような精神面での高次な欲求に基づくと思われる男女の結びつきを描くことが多いですよね。
 でも、実際の現実ではもっと低次の基本的な欲求に基づく生々しい部分が男女の結びつきのもとになっているのではないかなあ、よく分かりませんが。

 19世紀のイギリスの小説家ジョージ・メレディスはかく語った。

 Kissing doesn't last ; cookerry do.

 キッスは長く続かない。料理は続く。
 

 18世紀のイギリスの文人、文壇の大御所サミュエル・ジョンソンはかく語った。

 「男性は、細君がギリシャ語ができるよりも、料理が上手な方を歓迎するものである。」
 

 ふむ・・・。

 
 

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