「2003年関西旅・・・都立高校の甲子園を観に」

 

1.都立高校が出るぞ!!

 都立雪谷高校が夏の甲子園に出場する・・・これが決まったのが、7月30日頃だったと思う。

 興奮した・・・そもそも今年の夏の甲子園が第85回大会であるが、今まで、都立高校で出たのはこの雪谷高校含めて3校のみであるのだから。

 かなり前になるが、都立国立高校、当時最強を誇っていた箕島高校と当たってしまって初戦突破はならなかった。このときはたいそうな騒ぎになったらしい。

 数年前であるが、都立城東高校が出場した。これも初戦敗退した。しかし、都立国立以来の都立高校の出場で、僕もたいそう行きたかったのだが、仕事の都合で行けなかった。

 で、今回は、雪谷高校である。今回もよりによって、王者の風格漂う大阪代表PL学園とぶちあたることになってしまったわけだ・・・国立が箕島と当たってしまったことを思い出させる。

 85回の大会の中で都立はたったの3回しか出場していない。単純平均を取ると、およそ28年に1回しか出場していないことになるし・・・・これはある意味阪神が優勝することよりすごいことかもしれないからだ。

 そもそも、僕は公立高校を応援している・・・今までの、甲子園観戦でもそうだったし、ここでの語りにもそう書いてきたわけであるが、これが都立高校となるとますます応援したくなる。私立高校の強豪ひしめく東京都で都立が勝ち抜くというのは並大抵のことではないからだ。

 そうそう、今回の都立雪谷高校の監督さんには面白い逸話がある。この監督さん、バーのマスターらしいのだが、今年は必勝を期して春先からバーを閉めて監督業に専念したらしいのだ。もちろん、教師ではないので、生活を支えるほどのお金は当然もらえるわけではなく、バーを開業しつつ貯めた貯金を食いつぶしつつ、今回の出場に至ったというわけらしい。なかなかできることではないよね。でも、この逸話からも出場できて本当によかったと思えるわけだ。

 この監督さん、今回の甲子園が終わったらまたバーを再開するかどうかは未定とのことだが、再開したら、売れるだろうね♪私も行きたいなと思ったりもするわけだが(^-^)

 余談が多くなったが、都立高校は85回のうち3回しか出たことがなく、そして初戦を突破したことがない、その意味では、今回の雪谷高校が初戦を突破できるかどうかそれが注目されるわけだ。

 そして、僕は今年も大阪に来ることを決めたわけだ。

2003年8月10日(日) 15:00  甲子園球場にてにて

 

2.台風

 なんで台風なんて来るの?と思わされた。

 都立雪谷高校が甲子園での試合予定日8月9日土曜日に関西直撃との予報が事前に出ていた・・・。8月8日の夜に東京を出る夜行バスを予約していたのだが、バスだって出るかどうかもあやしくなってきていたわけで、たとえ、大阪に到着できたとしても、当然台風の影響からまともに試合ができているということは考えられず、いったい都立雪谷はいつ戦うのかということさえ読めなくなっていた。

 しかし、僕は8月8日のバスの予約を入れてしまっていたので、行くしかない・・・サイは投げられていたわけで・・・。

 台風に突っ込む形で大阪行きのバスに乗る・・そこまでして行くのかという気分にはなる。

 8月8日のバスは運行していた。途中目が覚めると、豪雨のたたきつける音は聞こえたものの、9日の朝には無事に大阪に到着できたわけで・・・。

 大阪に着けたものの、前の日の豪雨とその日も雨だったので、甲子園の試合は何試合が中止になり、順延されていたので、雪谷の試合は10日の第2試合になってしまったわけだが、無事に次10日には行われそうなことがきまったのでほっとしたわけで・・・。

 となると、9日一日空いてしまったわけで・・・せっかく大阪に来たわけだから、お笑いでも観ようかと思ったわけで・・・吉本の本拠地、なんばグランド花月へ足を向けたわけで。

 

 2003年8月10日(日) 15:13  甲子園球場にて

3.笑いの殿堂を訪ねて

 吉本の芸人達がライブを繰り広げる、なんばグランド花月は一度来てみたかったところだ

 実はけっこうお笑いは好きだからである。NHKの爆笑オンエアバトルを観はじめて以来、お笑いが好きになったわけである。

 夜行バスで朝早く6時台に着いたから・・・行き道はよく分からなかったが、なんばの駅に近いということだけはしっていたたので、それで当たりをつけて、試行錯誤しながら行っても、9時45分の初演のチケットを購入するのには十分間に合う時間に到着できて、初演を観ることができた。

 いやー、面白いよね・・・2時間半、多少の休みはあるものの、ほぼぶっ通しで落語、漫才、イリュージョン、新喜劇などなどとりどりのお笑いを提供してくれるのは、すごいね。

 当日券で4000円取られるから、それなりに高いとは思うものの、その価値は十分にあるんじゃないかな。遠くから観に来ても全然損はないね。

 とってもいいよ、なんばグランド花月。

 こういうのって、きちんと予約して行かねば行けないのかなぁとか、場所がよくわからんなぁとか思いつつ今まで行けなかったけど、当日券とかもあるし、それもきちんと指定席で入れ替え制だったから、ほほーと思った次第。

 ここの向かいのジュンク堂書店の上に「ワッハ上方」という大阪府の運営している演芸資料館があったりして、そこも行ってみたのだが、大阪っていうのは笑いの気風に満ちているね。だって、お堅いお役所からして、このような資料館を運営しているし、そもそも、そのネーミングからして笑いの気風がにじみ出ているよね「ワッハ」って。

2003年8月10日(日) 15:45  甲子園球場スタンドの炎天下にて

 

4.道頓堀ナイト

 ということで、期せずしてお笑いどっぷりの昼間を過ごしてしまった9日土曜日であったが、夜は、毎年大阪来ると会う友人と連絡が取れたので一緒に飲むことにした

 その友人とはここ4年間・・そう、甲子園のために大阪に来るたびに時間を合わせて飲んでいるわけだが、この8月に年1回会うのみなので、それこそ七夕チックな会い方だよねぇ(^-^)

 「ミナミとキタ」はどっちがよい?ということなので、あまり行ったことがないミナミの案内をお願いする。ミナミといえば、なんば・心斎橋・道頓堀あたりの総称だと思われるが・・・繁華街であるが、よくは知らない。ミナミの帝王 とかいうマンガがあったよね、くらいだけど。

 学生時代に知り合い・・・その後、ありがちなことではあるが音信が絶え気味だったものの、私がホームページを開きそれに気づいた知人がメールをくれたことをきっかけに、また付き合いが始まった。

 私の関西行きはいつも突然である・・・今回は雪谷が出るからとか・・・。でも、メールをすると、すぐに返事をくれて会えている。今回も2日前にメールをしたが、会うことができた。とてもうれしかった。

 この一年一度の大阪ナイトの付き合いはとても貴重だと思うし、これからも大事にしていきたいと思っている。大阪に毎年来るのはこのような付き合いの楽しみがあることも一因だ。

道頓堀えびす橋より。僕もメールマガジンの発行に利用している「まぐまぐ」のネオンが道頓堀にも登場・・・すごいな。あと、グリコのには、阪神タイガースにちなんだように改装するようだ。
有名な くいだおれ人形 

ここでも阪神タイガースの快進撃が影響しているらしく、マジックの表示がある。

うれしいことだ。

 回転寿司食べ放題1500円(税抜)時間無制限という、いかにもコストパフォーマンスを追求した大阪らしいところで腹を満たした後、道頓堀のバーで一杯やる。

 ミナミの繁華街は、なかなかひとりでは歩きにくい、友人と一緒だったので道頓堀ナイトを十分に楽しめた。いい夜だった。

2003年8月11日(月) 11:15  電車内にて

 

 

5.一矢報いることに意味がある 〜都立雪谷高校〜

 まぁ、前の晩フィーバーしてしまったからといって、10日の都立雪谷高校との戦いを寝坊するわけにはいかない。なんのために大阪に来たのかということになってしまうから(^-^)

 朝は7時過ぎには起き出して、きちんと朝食を摂る。腹が減っては戦ができぬとばかり、自分が戦うわけでもないが気合いを入れたし、実際炎天下の甲子園での観戦・応援は、観てるだけとはいえど、こちらも戦いに近いものがある。

 都立雪谷 vs PL学園は第2試合だから、第1試合の途中から席を取って準備万端で観戦に臨んだ試合。

 結果は・・・

 みなさんご存じでしょう。

 13対1で負けました。PL学園の大勝です。

 いやー、やはり強かったです。

 でも途中までは5対1、7対1くらい・・・最終回にエース太田君が力尽きて変わったところで、大量失点につながったんだよね。

 7点取られても、エースはエースだったんだなぁという感を持ったし、天下のPLをそこまで押さえてきたのは実はすごかったのかもしれない。

 

 そう、わかっていたさ・・・大量点差で負けることは。実は20点差くらい付けられるのではないかなとさえ思っていた。

 

 でもね・・・でもね、1点取れればそれでいい、その1点をこの眼でみたい・・・その思いで台風を乗り越えてここまで来た。そう、これは去年の 甲子園旅行記2002 4.公立校にこそがんばってほしいのさ 〜仙台西〜 に書いたとおりだ。少なくとも1点取れば、それで救われる。一矢報いる それが見たかった。

 先頭打者長打の後、犠牲フライだったけど、1点取ったシーンをこの目で観ることができた。それで悔いなしなのである。まさに一矢報いたのだから・・・これで零封されていたら、いくら相手がPLとはいえ、救いがないのである。

 

2003年8月12日(火) 0:15  ホテルにて

 

6.高野山に登る 〜真言密教の総本山を訪ねて〜

 さて、甲子園で、雪谷も負けてしまって、悔いはないものの疲労感押さえられない僕がたどり着いた先は・・・

 関西圏以外の読者には、どこ?といわれそうなところ・・・堺東駅。

 私もよく知らなかったのだが、まぁ、堺と言えば、古くは戦国時代、堺商人が鉄砲を売っていたということで有名な場所であるが、その堺市の東側にあるから堺東駅ということのようだ。だから堺東という地名はないようで、要するに駅名だけ堺東ということらしい・・・例えば、大阪は駅名としては大阪だけど、地名としては梅田ということと同じ話題であろう。

 どうしてこの未知なる堺東駅に来たのか・・それは、宿が安く取れたので、来てみたのだ(大阪の繁華街ミナミの なんば から急行に乗れば15分くらいで着ける)。南海高野線の沿線である。南海本線が和歌山の方に続くのに対し、この高野線の終点は高野山なのである。

 ということで、ここで一泊した後・・・事前には全然予定していなかったことだが、高野線の終点である高野山に行くことにした。そう、8月11日は高野山に行くことに決めたのだ。

 高野山・・真言宗の総本山として有名であるし、日本史の授業では必ず覚えるところである。真言宗の祖は空海であり、空海のまたの名を弘法大師ともいうわけである。日本に入ってきた密教としては、天台宗と真言宗があるが、天台宗の総本山が比叡山であれば、真言宗は高野山なわけである。比叡山は京都から近いこともあって、修学旅行でも行ったが、高野山は・・和歌山の山奥であり、なかなか行けていなかったところである。

  高野山の中で一番有名なお寺が「金剛峯寺」であるが・・・私は、小学校六年生の時に、このお寺の読み方が「こんごうぶじ」となることを覚えたことを、珍しい読み方であるので印象深く覚えているが、実際にこの金剛峯寺(こんごうぶじ)に行けたのは今になってであることを思うと・・・なかなか感慨深い。その存在を知って19年たって初めて相まみえるということなのだから。

 堺東駅から、特急に乗って1時間ちょっとくらいかな・・・極楽橋という駅まで着く、そこから、ケーブルカーに乗って高野山駅に着く、そこから、またバスに乗って行くわけである・・・正直とんでもない山奥にある・・・でも、だからこそ総本山としての風格というものだ。

 バスに乗って高野山の寺の数々があるところに着くと・・・そこはちょっとした町であったのも驚きだ。とんでもない山奥であるにもかかわらず、銀行があったり、商店が軒を連ねていたり・・・うむ、すごいね。

  こういうところを通り過ぎてきたら・・・

 意外に町な、高野山

 さて、高野山は、寺とそこのお坊さん達の生活の場としての一つの町になっていたが、やはり、本当に修行をしている感じがよく出ていて、いかにも総本山という感じではあった。

 金剛峯寺を始め、奥の院、霊宝館などを見て回ったが・・その壮大な高野山を全部見るには一日では足りないという感じ。

 でも、これだけの山奥に来たのは、ひさしぶりだし、なるほど、心洗われる気分になれたのもよかった。山奥でアクセスの便がさほどよくない分、秘境の雰囲気があると思われますな。

 

 19年の時を経て観ることができた 金剛峯寺

2003年8月12日(火) 19:22 梅田・茶屋町にて

6.有馬温泉に行く 〜去年行けなかったところに今年行く〜

 さて、去年の 甲子園旅行記2002 6.まとめ に書いたが、去年の関西旅で、唯一悔やまれたのが、有馬温泉に行けなかったことなのだが、今年は幸い時間がある。有馬温泉に行ってみようと思った、旅の4日目8月12日である。

 有馬温泉は、兵庫県の山奥の方にある。そうだな・・・大阪からなら、梅田から阪急バスの直行便が出ていたりするので、それに乗っていくのだが、この直行便は全席指定なので事前に予約をしておいた方がよいのだが、さすがに平日の火曜日であるし、大丈夫だろうと思いつつバスターミナルの窓口で直前予約をしたが、案の定大丈夫であった。席の空き具合としては大丈夫なのだが、発車間際に行くと、窓口が混んでいて発見が間に合うかどうかハラハラしたものである。できればネットでも予約できるようなので事前の予約の方がよいなと感じた次第。

 しかも、お盆時の帰省ラッシュの高速道路の渋滞があるらしく・・・通常、梅田−有馬温泉間は特急で1時間弱で着くらしいが、1時間半くらいかかってようやく着いたという次第。

  有馬温泉のバスターミナル

  こういう泉源が各所にあって、いかにも温泉の雰囲気

  銀の湯(公共浴場)

 金の湯・銀の湯というふたつの公共浴場があるのだが、この日は、銀の湯しか開いていなかったので銀の湯に入る。なかなかいい感じであった。

 この有馬温泉、かの太閤秀吉も愛した温泉とのことで・・・そもそもは、戦国時代、将兵の傷を癒すのに必要だったという実用的意味もあったそうだ。

 なかなか、温泉らしい温泉・・・関東でいえば箱根、仙台でいえば秋保、札幌でいえば定山渓といった代表的温泉地の風格が漂っているところではあったなぁ。

2003年8月13日(水) 18:58 東京某所にて

6.まとめ

 さて、今回は、4日間という比較的長期の逗留であったが・・・4回も来ると、だんだん大阪にも慣れてくる。

 今まで、住んできた、仙台や札幌を第2・第3の故郷と思ってきたが・・・大阪も故郷化してきた感じだ。第4の故郷となるのはここだろう。

 いい旅であった。

2003年8月14日(木) 0:20 自宅にて

 

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